結婚を機に、私は穏やかな暮らしの中で、家事に心を込める日々を過ごしていました。
朝の光に包まれながら台所に立ち、季節の野菜を刻む音に耳を澄ませる。
洗濯物が風に揺れる様子を眺めながら、今日という一日が静かに始まっていくのを感じる。
家事は、私にとって小さな創造の連続でした。
「もしこのまま専業主婦として過ごせたら、それも幸せかもしれない」
そう思えるほど、静かで満ち足りた時間が流れていたのです。
けれどその穏やかな日々の中に、音楽の記憶はいつもそっと寄り添っていました。
ピアノの音が聞こえない日々でも、心の奥には、まだ響いている旋律があったのです。
1982年、ヤマハ音楽教室での2年目、気づけば受け持つ生徒は100人を超えていました。
曜日ごとに異なるクラス、年齢も性格もさまざまな子どもたち。
教室の扉を開けるたびに、そこには新しい表情と音楽の芽が待っていました。
忙しさの中にも、音楽を通して生徒の成長に立ち会えることが、何よりのやりがいでした。
高岡駅前の楽器店が、私の主な仕事場。
その場所は、私の人生の風景の一部になっていたように思います。
そんなある日、かつて勤めていた楽器店の営業マンから、突然の依頼が舞い込みました。
「どうしても曜日が合わない中学生の生徒が3名いて、週に一度だけでも見てもらえませんか?」
音楽の現場に戻るつもりはなかった私にとって、それは予想もしなかった問いかけでした。
迷いながらも、家族に相談すると、思いがけず温かい後押しが返ってきました。
「あなたらしいと思うよ」「やってみたら?」
その言葉に背中を押されるように、私は静かに決断しました。
「続けられなくなったらやめよう」そんな気持ちで始めた小さな一歩が、
やがて私の人生に新しい風を吹き込むことになるとは、あの時の私はまだ知りませんでした。
生徒たちの笑顔に触れるたび、音楽が心に灯るたび、
私の中に眠っていた何かが、静かに目を覚ましていくのを感じました。
ピアノの前に座る時間が、いつしか私自身の心を整える時間になっていきました。
音を通して誰かとつながることの喜び。
その瞬間に立ち会えることの尊さ。
そして何より、家族の理解と応援が、私の背中をそっと支えてくれていました。
気づけば、レッスンは続いていました。
それは義務でも責任でもなく、
私の人生に自然と根を張っていった、音楽との再会だったのかもしれません。
自宅教室を始めてから、音楽は再び私の暮らしの中に息づきはじめました。
生徒たちの笑顔、音に向き合う真剣なまなざし、
そしてその一音一音に込められた、まだ言葉にならない想い。
教えるというより、共に歩むような時間。
音楽を通して心が通い合う瞬間が、私の人生に静かな彩りを添えてくれました。
この教室が、誰かの居場所になれたら。
うまく言葉にできない気持ちを、音で表現できるような場所でありたい。
そして何より、音楽が人生のそばにあることの喜びを、
一人でも多くの人と分かち合えたら──
そんな願いを胸に、私はこれからもピアノの前に座り続けていきたいと思っています。

📣次回予告:「第2章:はじめての発表会──音楽が灯した小さな舞台
自宅教室を始めてから、少しずつ集まってきた生徒たち。
その一人ひとりの音が、やがてひとつの舞台へとつながっていきました。
はじめての発表会。
小さな手で奏でる音、緊張と期待が入り混じる空気、
そして、保護者の方々のまなざしに包まれたあの時間。
音楽が、暮らしの中に灯った瞬間。
次回は、教室にとって初めての発表会の記録を綴ります──。
村上みゆきのプロフィール
1981年より高岡市でヤマハ音楽教室の講師として活動を始め、音楽教育に携わってきました。
その後、自宅にて音楽教室を開き、子どもたちやご家族と音楽の喜びを分かち合う日々を送っています。
現在は砺波市に暮らし、音楽を愛する地元の皆さまと心温まる交流を楽しみながら、教室を続けています。
音楽は、人生を彩るもの。
教室がその彩りのひとつとなれるよう、これからも心を込めて奏でていきます。